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2011年9月9日金曜日

「ガラスバッジ」による積算放射線量測定は誰のため?

9月9日のYahoo!ニュース

“胸元には、市から支給された線量計「ガラスバッジ」が。数字が表示されないタイプで、定期的に市が回収して積算線量を知らされる。「なんだか俺たち、実験台みたいだ」。高橋さんはつぶやいた”

ガラスバッジ」とは積算線量をモニタリングする個人被曝線量計。

ただし 
放射線量を自分の目で確認することもできなければ、
線量の高いところで警告音を発するわけでもない。
基本的にはデータを取り、疫学調査に役立てるためのもののようです。

せめてきちんと本人にフィードバックすることを信じたいけれど……。
バッジに蓄積されたデータを表示できるようにすることなど簡単だろうに……。


福島民報7月7日「被ばく量知りたい 積算線量計の配布広がる」によると

“コープふくしまが組合員を対象にガラスバッジによる測定サービスをPRしたところ注文はすぐに1000件を超えた。8月1日から1カ月区切りで測定する”

その後は?と思い、コープふくしまH.P.を見たら、
アーカイブも見つからないのがちょっと気になります。

たとえばリークテックという会社だと、24H以内に個人線量の報告があるとのこと。
そろそろ結果が出てもいいハズですが…。

個人的に依頼した測定と、市から知らされる結果を一度比較するべきかもしれませんね。


2011年7月20日水曜日

2011.7.16 陸前高田市街(車移動・iPhone撮影)

7月16日ー17日に岩手県陸前高田を訪れました。

20mの高さの津波に襲われた陸前高田市。
映像は農村部などではなく、市街中心部です。
震災後、水道が復旧したのはわずか2週間前。

テレビには復興に向かう東北の姿が目につきますが、
これが陸前高田の現状です。

説明をしてくださっているのは、陸前高田を中心に
精力的なボランティア活動を続ける乙部さんです。

陸前高田で聞いたお話(2011.7.16-17)


「避難所となった学校は人でいっぱいだった。小4の息子も学校ごと避難したが、男子はみな立ったまま一夜を明かし、女子を優先して座らせた。もちろん横になるスペースなどなかった」(看護士・女性)

「ゆいいつ津波を免れた病院には人が押し掛けた。津波でずぶぬれになり雪で冷えきった人たちの服を脱がせ、入院患者の布団や毛布をはいで渡した」(看護士・女性)

「ふと振り返ると一緒に逃げていた祖父母が、津波に飲み込まれていくのが見えた。必死に走って逃げた」(小学生男子。伝え聞き)

「もともと生活に困っている老人が多く住んでいる市営住宅。建物の被害こそなかったが、買い物をしていた商店はすべて流され、遠くに行く足(車)もない。公的な支援は一切受けられない。避難所に支援物資を分けてもらいに行くと、家を失った人に罵倒され、追い返される」(看護士・女性)

「もう何人もの人が自殺している」
「つないでいた手の先がなくなって、腕だけになっていたという人もいる」
(看護士・女性)

「旦那と息子に、10代の孫を連れて、先に逃げろと言われた。二人は3日後、車の中で発見された。渋滞に巻き込まれているうちに津波にやられたんだろう。残ったのは二人の孫とお嫁さん。数週間後、流された金庫が見つかり、証書や通帳、印鑑が戻った。4月から孫のひとりは仙台の専門学校で一人暮らしを始めた。孫をしっかり育てなきゃ二人に申し訳ないから、頑張ります」(80歳女性)

高台にある老人ホームで働く女性との会話
「今、妊娠5ヶ月なんです」
「震災あとに妊娠がわかったんですか?」
「はい、そうです。亡くなった方の分も、しっかりいい子を産みます」
この日、彼女の勤務は午後4時から翌日の午前9時まで
「体、つらくない?」
「いつ地震があるかわからないから、稼げるうちに稼いでおかないと!」

2011年6月16日木曜日

炊き出しの注意


料理の保存のポイント

<調理その1 酢>
味に影響がない程度の量でも強い殺菌効果があるので、できるだけ食材に酢を絡ませる。
(例:ポテトサラダ)
キュウリやタマネギなど中に入れる材料を切ったあと、軽く酢をふる。ポテトをマッシュした段階でも酢を少々。

<調理その2 メニュー>
炒め物よりも煮物が圧倒的にリスクが少ない
*炒めものは空気に触れながらの加熱になるため、具材の芯までは滅菌に必要な温度と時間は火が通らないとのこと


<あら熱の取り方>
食品は可能な限り急冷すること。20℃〜40℃の温度帯で菌は急速に繁殖する。
煮物、汁物は冷えにくいので、シンクに水を張り、鍋を入れる。水の高さを鍋に入っている料理よりも高くするのがポイント。


<パッキング法>
ポテトサラダや水分の少ない煮物、炒め物

1 発泡スチロール容器に氷を敷く
2 二重にしたビニール袋の内側をアルコール除菌する
3 あら熱をとった料理を空気を抜くようにつめ、内側の袋を縛る
4 外側の袋を畳むように折る

*タッパーに入れるよりも、空気を抜ける点、氷に料理が当たる面が増える点で優れている。
                                                    
<現地での再加熱・殺菌>

カレー、汁物などは、具材の芯まで80℃・5分以上加熱しなければならない。沸騰状態を10分が目安。提供直前の一度の火入れでは、十分に加熱できない危険があるため、調理済みの食品は現地で二度火入れをすること

(例:12時提供の場合)
1 到着後10時ごろまでに一度完全に火入れをして滅菌する
2 11時半に再度火入れをする

(カレーの加熱)
一度目の加熱で完全殺菌。この加熱から一度冷める過程で、1割程度水分が抜けて詰まるので、二度目の加熱の際に、鍋底にお湯を足して加熱するとこげない



*いちばん重要なのは、リーダーがすべての料理のチェックをしてGoサインを出すこと。そこが一元管理できていないと「まだ、沸騰してないけど、だいたい温まったし、もう人が並んでるから出さなきゃ」というような状態から事故が起こる。被災者の方々は抵抗力の低下している人も多く、自分の家庭レベルの衛生・殺菌の意識では危険。
その他、トマトソースは菌が繁殖しやすいようだ、という話も。

*現地での調理はできるだけしない。調理場所・提供場所の情報は可能な限り現地の方に写真を送ってもらい、必要な対策を練る。

2011年5月22日日曜日

南相馬と郡山の人たちのつぶやき

震災から2ヶ月。避難所で暮らしている福島の方々の声の一部です。

(放射能について)

「この辺り(南相馬市鹿島)はワリと低いんですよ。山と風の流れで全然違うの。ほら、あっちの山が今日はちょっと霞んでるでしょ。あの辺はちょっと今日は多いかもしれないね」

「もしかしたら帰れるのかもしれない、と思うと、どうしても次を考えられない。
早くはっきりして欲しい」


「国が買い取ってくれるんだったら、すぐ家も土地も売るよ」


(生活について)

「(1歳7ヶ月の子を見て)子供はやっぱり宝だねぇ。ぱあっと心が明るくなる」


「ここではみんなが子供の面倒を見てくれるんで助かってます」
(南相馬の小規模な避難所のお母さん)
*大型避難所のビッグパレットでは、状況が違います。小さな子供のお母さんは周りに気を使うことが多いため、専用のリラックススペースがオープンしていました)

「自分の食べる分の野菜くらいは全部自分で作ってたからね。
ここじゃ、そんなこともできないし…」


「炊き出しのメニューが豊富なのはうれしい。”あてがいぶち”の食事
ばかりじゃつまらないです」

*     *     *


「でもね、震災がなかったら、知らなかったことがいっぱいあるなって
思うんですよ。人の優しさとか温かさとか、こんなに感じることもなかった
だろうし、あなたともこうして話せることもなかっただろうし…」

なんていうか…なんにも言えなくなってしまいました。
そして、言った言葉は
「また来ます」です。

海もだが、山もどうなるのだろう…

整体をしながらお話をしていると
「今頃は、山に入ってたくさん山菜とってくるんだよ。美味しいよ〜」
と何人もの方が言っていました。そう、このあたりは山菜の宝庫。
「来年は食べられるんかねぇ…」
食べたいですねぇ、ホントに。

足が疲れるというおじさん。
さわってみると、全身の筋肉がものすごくしっかりしています。

「何をされてるんですか?」
「りょうしだよ。地震の時はちょうど山で、イノシシを捌いていたんだよ。
40キロ位のいいやつが、2頭も捕れてね。そのまま山に放ってこなきゃなんなかった」
「あれ?りょうしさんって?」
イノシシ専門の猟師だよ」

うわ〜、かっこいい!
すっかり漁師さんだと思ってました。
冬の猟の時期で40頭近くのイノシシを捕るのだそうです。
ちなみに昔は犬を使った猟だったけれど、
ワナを使う人が増えてから、犬がワナでけがをするという事故が増え、
やむなく自分もワナ猟に変えたとのこと。

小学校のころに夢中で読んだ「高安犬物語」を久々に思い出しました(*^_^*)

胸板の厚いおじいさん、がっしりしたふくらはぎのおばあさん

炊きボラの活動は「炊き出し」と「ボランティア」。
ボランティアは主に瓦礫撤去や泥のかき出しなど。ですが、今回の私の活動は整体。
中国の病院で磨いた中国式マッサージ「推拿」と
タイのワット・ポーとチバソムで学んだ古式マッサージの合わせ技です。

「いいなぁ〜、炊き出し。みんな一緒で楽しそう…」という一抹の淋しさはありますが、
ひざまずいているのが私です(*^_^*)
「楽になったよ」と顔がパッと明るくなる様子を見られるのは、なにより嬉しい。
お一人15分程度の限られた時間とはいえ、直接お話が聞けるのも得難い経験です。

はじめは被災地の方の心と体の状態が想像もつかず、
おそるおそるという気持ちもあったのですが、
実際に施術を始めたら、安心感が心に広がりました。

もちろん疲れやコリがあり、ぎゅ〜っと心が固まった後の緊張が体に表れてはいるんですが、”基本的に健康”な方が多いんです。
胸板の厚いおじいさん、がっしりしたふくらはぎのおばあさん(*^_^*)
半分以上の方は”使わなくなったことが原因の疲れやコリ”なので、短時間でもワリと簡単にほぐれていきます。

畑をやったり、山歩きをして山菜を収穫したり、
隣では足浴&手マッサージ
きちんと体を使って生活を営んでいた人が、
避難所で”何もすることがない”というのはどうしたらいいんでしょう。

「ご飯は食べさせてもらえるし、散歩でもしてって言われるんだけど、なにもないのにただ歩くって言うのもね…」
……ごもっともです……

何を話せばいいのかな?とも考えていたのですが、
福島の方は明るく、話し好きの方が多いんですね。

それなりに修行した私の技より、
お隣の若い女の子とのお話&ハンドマッサージの方が
効き目のありそうなおじさんも多かったような…(´-ω-`)

固くて冷たい床。未だに緊急避難の状態です@ビッグパレットふくしま 5/15

5月15日ビッグパレットふくしま。


ここは現在でも1,050人の方が暮らしている
大型の避難所です。

前日の南相馬は50人×2つの建物という構成。
いわば全員が顔見知りで、そこには疑似家族的な”生活”の雰囲気もあったのですが
ビッグパレットは完全な”避難”所。

3月のさいたまスーパーアリーナと変わらない状況は
ちょっとショックでした。。ここに2ヶ月。。。

人が靴を履いて歩くことしか考えてない床って、固くて冷たいです。

私の活動は整体(中国推拿とタイ古式マッサージのMIX)。
持って行ったヨガマットだけでは、とても寝てもらえるような状況ではないので
段ボールを2枚重ねにした即席マットと、
炊き出し用の荷物をくるんでいた大きな毛布で
どうにか間に合わせました。

2011年5月21日土曜日

”炊きボラ”はfacebookで集まったボランティアグループ

なんだか、ボランティアネタが多くなってしまいますが、
”伝えること”もひとつの行動だと思うので、
できるだけ書いていきます。


私のボランティア活動第2弾は”炊きボラ”。
内容はこちらで見てください。
http://www.facebook.com/TeamTAKIVolunteer?sk=info
被災者第一で炊き出しとボランティアを行います。難しい主張はなし。
出来る限り現地に泊まり、可能な限り食材購入も現地で、経済活動、ボランティア、炊き出し、
その後の情報拡散や後方支援、何よりも被災者の側にたっての応援、支援をめざしています。







メンバーはFacebookでつながったり、あれこれ検索してたどりついたという人など様々。年齢も20代後半から50代までと幅広いです。


参加の流れは
FBで次の活動の告知がでる
  ↓
参加申し込みをする
参加方法・スケジュールなどをメールで確認
  ↓
出発時間に集合場所に行く


シンプルに言えばこれだけ。


私は主宰の品川kazさんと面識はあったのですが、
その他の情報はほとんどありませんでした。


FBのやりとりを見ても、前回の活動の様子が
楽しそうに語られていて、
「お仲間の中に突然部外者が入る」的な感じだったら
ちょっとイヤだな〜と思っていたら、さにあらず。
初参加の人も多かったし、
なにより ”誰” とか ”どんな人” とかはどうでもよくて
極端なことをいえば ”名前がわからないけどみんな仲間”
と感じられる不思議なグループ、というか活動。


大人になってからでもこんな風に仲間ができるんだってことに、



ちょい感動しました。
ということで、







みなさん、これからもヨロシク。
    &
新しいお仲間さんに会えるのも楽しみにしています(●´ε`●) 



2011年5月19日木曜日

4月28日 宮城県七ヶ浜避難所に行ってきました その5


さて、また話を戻します。
現地に仕切りで「いいね!」だったのが、食事の提供の仕方。

あらかじめ20~30人なかずつ順番と時間を割り振り、
基本的に並ばないで提供されるようになっていました。
テレビで炊き出しの行列を見るたびに、
大変そうだなぁと思っていたので、これナイスです。

食事のあとは、アクロバットピザの世界チャンピオン・レッドとペッペによるピザショー。写真は練習する二人。


15時にはすべてが終了・撤収。また7時間かけて東京に戻ります。


最後に、帰路、車窓をながめながら、ペッペがつぶやいた
印象的な一言を。
「デモ、ニホンジン、スゲェ。ナオスノ、ハエェ」

以上です

4月28日 宮城県七ヶ浜避難所に行ってきました。番外編写真なし


よく「東北の人は我慢強い」って言われますが、
今回思ったのは、東北の人は気位が高いのかもしれない、ってこと


今回は報告ではなく、私見なのでずら〜〜っと書きます。
私は父方の田舎が青森なんだけど、海や山の恵みがあって田畑を耕せば作物が成るって、本当に豊かなことなんだよね。子供の頃から遊びに行くたびに、美味しいものを沢山食べさせてくれて、山ほどのお土産をもたせてくれて、それなのに、ほんのちょっとしたお土産やプレゼントにすっごく恐縮するの。身内だからってだけじゃなく、私が子供のころ、バックパッカーみたいな若者を、しばらく納屋に(笑)住ませて、ごはんを食べさせて、なんだか路銀みたいなものをあげたりもしていた記憶もある。小さい頃から毎年お年玉をくれていた叔母。若い頃に大恋愛して結局ずっと独身で一人暮らし。ここ数年は体が弱くなっているらしく、全然会っていない。車で迎えに行くから遊びに来ない?といっても「迷惑かけるから」の一点張り。迷惑じゃないよ、おばちゃんに会いたいんだよ。ホントは迷惑だってかけて欲しいんだよ。といっても聞いてくれない。頑固というか、気位が高いというか、でもそれは彼女の芯みたいなものだから、それ以上は言えない。


だいたいがみんな
「やってあげることは厭わないのに、やってもらうことは苦手」
といった印象。


あ〜〜、東北に大阪のおばちゃんを送り込みたい。
「あんた、これもあれも言わなぁ、あかんよ」
「黙ってたら損するで、もらえるもんはもらっとき」
「菅さん、アンタどないしてくれるん、どないしてくれるん!」
みたいな、ねヾ(・ω・`;)ノ

4月28日 宮城県七ヶ浜避難所に行ってきました。その4


28日は平日だったので、子供達は学校。
午前中は年配の方だけが残っているようです。
建物の外に出したイスに座り、遠巻きに私たちを見ています。




声をかけていいものか迷っていたところ、
ひとりのおばあちゃんがトコトコと近づいてきてくれました。

「こんにちは!」
「こんにちは。どこから来たの?」
「東京です。今日のお昼はおいしいピザを食べてくださいね」
「ああ、娘や孫がよろこぶねぇ」
「この辺はピザ屋さんってあるんですか?」
「塩釜辺りまで行くとあるんだけど、この辺にはないねぇ」
「今日は世界チャンピオンが焼く、世界一のピザなんですよ!」
「そりゃ楽しみだ」

とってもかわいいおばあちゃん。
でも、できるのは、今日のたった一食を食べてもらうことだけ。


ここならもう宅配便も届くだろう…
「いま、いちばん困っていることは何ですか?
なにか必要なものはありませんか?」

これ、口に出すのは怖い質問です。
困ってることも必要なものもありすぎて、
「言ったらアンタがどうにかしてくれるの?」と言われたら、
どうにもできないものがほとんどなんだから…。
それでも、聞かずにはいられなかった

でもね、その答えがね……

「な〜んにもないよ〜。とおくからアリガトね〜」って

その場では「そう?大丈夫?」って普通に話を続けてたけど、
その後、このときの言葉を思い出すだけで泣いちゃうんだ……。
泣いてる、なう。
いま、これを書いている渋谷の喫茶店なのに^^;


でも考えてみれば、東北の人が初対面の人に
世話になるようなことをいうわけないんだよね。


(番外編に続きます)


2011年5月5日木曜日

4月28日 宮城県七ヶ浜避難所に行ってきました。その3

9:30頃七ヶ浜避難所に到着。
この後は14:30くらいまで、記録係としてカメラとビデオを回したので、
食事提供が終了するまで、0ツイートです。


もとテレビ屋ということで、託されたカメラは5台!!!!(°□°;)
自分用の写真はほとんど撮れませんでしたヾ(・ω・`;)ノ


夜中にどしゃぶりだった雨が上がり、
空はまぶしいくらいの青空。


総勢30名近いメンバーが、さしたる打ち合わせもなく、
もくもくと準備を進めていきます。



胸にかけた札の裏には、氏名・緊急連絡先・血液型が書かれています。



今回は500枚のピザ、スープ、パスタ、ミネラルウォーターを提供します。


“ボランティア”というと“できることをできるだけやればいい”と思いがち。
私もはじめはそう思っていました。


でも避難所では
「希望者すべてに公平に食事やサービスが提供されるのでなければ迷惑」
なのが実情。
さもないと余計なストレスやいさかいを生むことになってしまうのです。

物資が豊富にあっても
「お前のとこはまだ家があるんだからこっちを優先しろ」
という声があがることもあるし、
とある美容室のヘアカットのボランティアでは、
順番待ちが打ち切りになった人たちが怒りだし、
結局ひとりのスタッフが避難所に残り、
希望者全員の髪を切り終わるまで数日帰れなかったという話も。

でも、ホントにしょうがないんです。
道一本隔てただけで、命以外のすべてを失った人と、
花の咲く庭に家族と暮らす人がいるんだから…。


でも食べ物や飲み物は、みな同じように必要だから…。
今、家が残ってもライフラインがない人がわざと汚い格好をして、
避難所で提供されているお風呂にいったりしているとか…。


 さて、One Life Japanに話を戻します。
これはイタリアンの巨匠(?)サルヴァトーレさん主宰の、
私的なボランティア活動。


もともとは2010年のハイチ大震災をきっかけに始まり、
世界各地の系列店でチャリティディナーを開いたり、
義援金を送ったりしていたそうです

東北のための活動はこれが第3弾。
今回はピザの世界チャンピオンが3人も集結。
食事だけでなく、ピザのアクロバットも楽しんでもらおうという企画です。


静岡からは薪釜を搭載したピザ専用車。
その他キッチンカーをレンタルし、
「現地のものは水一滴たりとも使わない。残す物は気持ちだけ」
という体勢が整えての活動です。

4月28日 宮城県七ヶ浜避難所に行ってきました。その2

4/28 8:21 多賀城市。大人の背の高さに津波の線が残っています。学生が登校中です。あ、パン屋さんが開いている! http://plixi.com/p/96547966

東北道を降り、多賀城市に入りました。
塩釜港にも近く津波の被害を受けたこのエリア。
いったいどんな状態に?と思ったら、なんだか拍子抜けするほどキレイ。
道路にはひずみもなく、学生が自転車で登校しています。
でも、なにか違和感が。。。なんだろう?。。。。。

ああ、そうか。
このキレイさというか、妙なさっぱり感は多くの物が流されて、そして片付けられた後なんだ。よく見ると、道路ワキの店やアパートの壁には、みな同じ高さに一本の線が残っています。大人の肩の高さに残された津波の痕。一階部分がガランドウになった店も多く、本当に、ぽつり、ぽつりと、「やっています」という商店の張り紙。

これはまだほとんどの店が「やっていない」ということ、、、なんですよね、きっと。

「この道はこのあたりの大動脈。ここが通れないとどうにもならないから、最優先で片付けたんだろう」と山野さん。
それでもよく見ると、建物の間には車が転がっていたり、スーパーの駐車場の隅にがれきが積まれていたり。



4/28 8:30このあたりはだいぶ片付いているけれど、打ち上がった船はそのままです http://t.co/1m3YTNt
誰も住んでいないような家、2階だけで住んでいる家、そしてなにごともなかったかのように、玄関前の鉢植えがきれいに花を咲かせている家。。。ほんの少し離れただけで、生活が変わってしまうのだな…と思っていたら、あまりにも突然。。。。


4/28 8:56ここは住宅街だったそうです http://plixi.com/p/96555852

T字路の先に広がっていた光景は、ありえない現実。
これが現実。
あまりにも圧倒的で、感情がわかない。
悲しいとか、恐ろしいとか、途方に暮れるとか、そういう範囲を超えている。。。

ドロと瓦礫に埋もれた家、車。家の中にあったはずのイスや布団…。
人を捜すにも片付けるにもどこから手をつけていいのかわからない。
「これは、どうしようもない…」


「きっとこの中にもまだ、たくさんの人がいるんだろうね」と山野さん。一通り自衛隊の捜索が入ったとはいえ、確かにこれはムリだ。見つけ出された遺体は、見つけやすいところにいた人たちだけで、本当にまだまだ、この津波の跡に埋もれている。そして、それは本当だったことを数日後に知ることになりました。


でも、ここにいる人たちは、ここから復興するんだ。もう歩き出している人たちだっているんだ。

(その3に続きます)

4月28日 宮城県七ヶ浜避難所に行ってきました。 その1

428日、宮城県七ヶ浜避難所に行ってきました。

イタリア料理のシェフとして有名な
サルヴァトーレさんの主宰する
One Life Japan- Save The Children of Tohoku。
のお手伝いとして、です。



東京、埼玉、静岡など各地からピザ職人が集まり、
お昼に焼きたてピザを食べていただくという活動。
その3rd mission。

「たった一度の食事がいったいどれだけの助けになるんだろう」
という疑問は、このあと現地で氷塊することになります。



 4/28 0:07 サルヴァトーレさん山野光夫さんと宮城に向かう車の中な~う
(以下 グレーの地の文章はそのときのtwitterでのつぶやきです) 
数台の車に分乗し、六本木を出発。私の乗った車はサルヴァトーレさん、ペッペさん、ニコさん、山野光夫さん。3人のイタリア人は終始寡黙で“やるべきことをやりにいく”という雰囲気。“いつも陽気でサービス精神にあふれたイタリア人”というより、まるで“現場に向かう消防団員”のようです。


4/28 3:48 東北道安積PAなう(-_-) http://plixi.com/p/96487505
「ここ、30km圏内です」と山野さん。なんとなくハッとして、雨を避ける。でも、きっと1日いたら何も気にしなくなってしまうだろうと思う。






4/28 4:07 東北道、かなりガタガタしてきました http://plixi.com/p/96491919

これが被災を実感した瞬間です。海からは30kmくらい離れているのに、ときどき飛び跳ねるくらいに高速道路がガタガタしています。

 4/28 4:22 はいっっ。個人行動はしないので、だいじょぶデス(_´) RT @ishikawajun: あんまり無茶しないように頑張っといで
高校生のときから知っているいしかわじゅんさんが声をかけてくれました。こんな真夜中でもだれかにつながるtwitter


4/28 5:28 ん?トラックなのに会議室だワン http://plixi.com/p/96510084
菅生SAに到着。写真はトラックに乗っていたデカわんこ。大人しいいい子です。








ここで今回のスタッフが各地からいったん集合。
7時半に出発し、9時過ぎに現地着の予定。

「現地ではものは食べるな。ここでしっかり食っておけ」との指令で、
若者たちはがっつり食事を始めました。
カレー、うどん、メンチカツセット…わ、わかい。ム、ムリ〜〜。
完全に胃が寝ている私は、とりあえずおにぎりをゲットしておくことに。

(その2に続きます)