2011年5月5日木曜日

4月28日 宮城県七ヶ浜避難所に行ってきました。その2

4/28 8:21 多賀城市。大人の背の高さに津波の線が残っています。学生が登校中です。あ、パン屋さんが開いている! http://plixi.com/p/96547966

東北道を降り、多賀城市に入りました。
塩釜港にも近く津波の被害を受けたこのエリア。
いったいどんな状態に?と思ったら、なんだか拍子抜けするほどキレイ。
道路にはひずみもなく、学生が自転車で登校しています。
でも、なにか違和感が。。。なんだろう?。。。。。

ああ、そうか。
このキレイさというか、妙なさっぱり感は多くの物が流されて、そして片付けられた後なんだ。よく見ると、道路ワキの店やアパートの壁には、みな同じ高さに一本の線が残っています。大人の肩の高さに残された津波の痕。一階部分がガランドウになった店も多く、本当に、ぽつり、ぽつりと、「やっています」という商店の張り紙。

これはまだほとんどの店が「やっていない」ということ、、、なんですよね、きっと。

「この道はこのあたりの大動脈。ここが通れないとどうにもならないから、最優先で片付けたんだろう」と山野さん。
それでもよく見ると、建物の間には車が転がっていたり、スーパーの駐車場の隅にがれきが積まれていたり。



4/28 8:30このあたりはだいぶ片付いているけれど、打ち上がった船はそのままです http://t.co/1m3YTNt
誰も住んでいないような家、2階だけで住んでいる家、そしてなにごともなかったかのように、玄関前の鉢植えがきれいに花を咲かせている家。。。ほんの少し離れただけで、生活が変わってしまうのだな…と思っていたら、あまりにも突然。。。。


4/28 8:56ここは住宅街だったそうです http://plixi.com/p/96555852

T字路の先に広がっていた光景は、ありえない現実。
これが現実。
あまりにも圧倒的で、感情がわかない。
悲しいとか、恐ろしいとか、途方に暮れるとか、そういう範囲を超えている。。。

ドロと瓦礫に埋もれた家、車。家の中にあったはずのイスや布団…。
人を捜すにも片付けるにもどこから手をつけていいのかわからない。
「これは、どうしようもない…」


「きっとこの中にもまだ、たくさんの人がいるんだろうね」と山野さん。一通り自衛隊の捜索が入ったとはいえ、確かにこれはムリだ。見つけ出された遺体は、見つけやすいところにいた人たちだけで、本当にまだまだ、この津波の跡に埋もれている。そして、それは本当だったことを数日後に知ることになりました。


でも、ここにいる人たちは、ここから復興するんだ。もう歩き出している人たちだっているんだ。

(その3に続きます)

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