2011年5月5日木曜日

4月28日 宮城県七ヶ浜避難所に行ってきました。その3

9:30頃七ヶ浜避難所に到着。
この後は14:30くらいまで、記録係としてカメラとビデオを回したので、
食事提供が終了するまで、0ツイートです。


もとテレビ屋ということで、託されたカメラは5台!!!!(°□°;)
自分用の写真はほとんど撮れませんでしたヾ(・ω・`;)ノ


夜中にどしゃぶりだった雨が上がり、
空はまぶしいくらいの青空。


総勢30名近いメンバーが、さしたる打ち合わせもなく、
もくもくと準備を進めていきます。



胸にかけた札の裏には、氏名・緊急連絡先・血液型が書かれています。



今回は500枚のピザ、スープ、パスタ、ミネラルウォーターを提供します。


“ボランティア”というと“できることをできるだけやればいい”と思いがち。
私もはじめはそう思っていました。


でも避難所では
「希望者すべてに公平に食事やサービスが提供されるのでなければ迷惑」
なのが実情。
さもないと余計なストレスやいさかいを生むことになってしまうのです。

物資が豊富にあっても
「お前のとこはまだ家があるんだからこっちを優先しろ」
という声があがることもあるし、
とある美容室のヘアカットのボランティアでは、
順番待ちが打ち切りになった人たちが怒りだし、
結局ひとりのスタッフが避難所に残り、
希望者全員の髪を切り終わるまで数日帰れなかったという話も。

でも、ホントにしょうがないんです。
道一本隔てただけで、命以外のすべてを失った人と、
花の咲く庭に家族と暮らす人がいるんだから…。


でも食べ物や飲み物は、みな同じように必要だから…。
今、家が残ってもライフラインがない人がわざと汚い格好をして、
避難所で提供されているお風呂にいったりしているとか…。


 さて、One Life Japanに話を戻します。
これはイタリアンの巨匠(?)サルヴァトーレさん主宰の、
私的なボランティア活動。


もともとは2010年のハイチ大震災をきっかけに始まり、
世界各地の系列店でチャリティディナーを開いたり、
義援金を送ったりしていたそうです

東北のための活動はこれが第3弾。
今回はピザの世界チャンピオンが3人も集結。
食事だけでなく、ピザのアクロバットも楽しんでもらおうという企画です。


静岡からは薪釜を搭載したピザ専用車。
その他キッチンカーをレンタルし、
「現地のものは水一滴たりとも使わない。残す物は気持ちだけ」
という体勢が整えての活動です。

4月28日 宮城県七ヶ浜避難所に行ってきました。その2

4/28 8:21 多賀城市。大人の背の高さに津波の線が残っています。学生が登校中です。あ、パン屋さんが開いている! http://plixi.com/p/96547966

東北道を降り、多賀城市に入りました。
塩釜港にも近く津波の被害を受けたこのエリア。
いったいどんな状態に?と思ったら、なんだか拍子抜けするほどキレイ。
道路にはひずみもなく、学生が自転車で登校しています。
でも、なにか違和感が。。。なんだろう?。。。。。

ああ、そうか。
このキレイさというか、妙なさっぱり感は多くの物が流されて、そして片付けられた後なんだ。よく見ると、道路ワキの店やアパートの壁には、みな同じ高さに一本の線が残っています。大人の肩の高さに残された津波の痕。一階部分がガランドウになった店も多く、本当に、ぽつり、ぽつりと、「やっています」という商店の張り紙。

これはまだほとんどの店が「やっていない」ということ、、、なんですよね、きっと。

「この道はこのあたりの大動脈。ここが通れないとどうにもならないから、最優先で片付けたんだろう」と山野さん。
それでもよく見ると、建物の間には車が転がっていたり、スーパーの駐車場の隅にがれきが積まれていたり。



4/28 8:30このあたりはだいぶ片付いているけれど、打ち上がった船はそのままです http://t.co/1m3YTNt
誰も住んでいないような家、2階だけで住んでいる家、そしてなにごともなかったかのように、玄関前の鉢植えがきれいに花を咲かせている家。。。ほんの少し離れただけで、生活が変わってしまうのだな…と思っていたら、あまりにも突然。。。。


4/28 8:56ここは住宅街だったそうです http://plixi.com/p/96555852

T字路の先に広がっていた光景は、ありえない現実。
これが現実。
あまりにも圧倒的で、感情がわかない。
悲しいとか、恐ろしいとか、途方に暮れるとか、そういう範囲を超えている。。。

ドロと瓦礫に埋もれた家、車。家の中にあったはずのイスや布団…。
人を捜すにも片付けるにもどこから手をつけていいのかわからない。
「これは、どうしようもない…」


「きっとこの中にもまだ、たくさんの人がいるんだろうね」と山野さん。一通り自衛隊の捜索が入ったとはいえ、確かにこれはムリだ。見つけ出された遺体は、見つけやすいところにいた人たちだけで、本当にまだまだ、この津波の跡に埋もれている。そして、それは本当だったことを数日後に知ることになりました。


でも、ここにいる人たちは、ここから復興するんだ。もう歩き出している人たちだっているんだ。

(その3に続きます)

4月28日 宮城県七ヶ浜避難所に行ってきました。 その1

428日、宮城県七ヶ浜避難所に行ってきました。

イタリア料理のシェフとして有名な
サルヴァトーレさんの主宰する
One Life Japan- Save The Children of Tohoku。
のお手伝いとして、です。



東京、埼玉、静岡など各地からピザ職人が集まり、
お昼に焼きたてピザを食べていただくという活動。
その3rd mission。

「たった一度の食事がいったいどれだけの助けになるんだろう」
という疑問は、このあと現地で氷塊することになります。



 4/28 0:07 サルヴァトーレさん山野光夫さんと宮城に向かう車の中な~う
(以下 グレーの地の文章はそのときのtwitterでのつぶやきです) 
数台の車に分乗し、六本木を出発。私の乗った車はサルヴァトーレさん、ペッペさん、ニコさん、山野光夫さん。3人のイタリア人は終始寡黙で“やるべきことをやりにいく”という雰囲気。“いつも陽気でサービス精神にあふれたイタリア人”というより、まるで“現場に向かう消防団員”のようです。


4/28 3:48 東北道安積PAなう(-_-) http://plixi.com/p/96487505
「ここ、30km圏内です」と山野さん。なんとなくハッとして、雨を避ける。でも、きっと1日いたら何も気にしなくなってしまうだろうと思う。






4/28 4:07 東北道、かなりガタガタしてきました http://plixi.com/p/96491919

これが被災を実感した瞬間です。海からは30kmくらい離れているのに、ときどき飛び跳ねるくらいに高速道路がガタガタしています。

 4/28 4:22 はいっっ。個人行動はしないので、だいじょぶデス(_´) RT @ishikawajun: あんまり無茶しないように頑張っといで
高校生のときから知っているいしかわじゅんさんが声をかけてくれました。こんな真夜中でもだれかにつながるtwitter


4/28 5:28 ん?トラックなのに会議室だワン http://plixi.com/p/96510084
菅生SAに到着。写真はトラックに乗っていたデカわんこ。大人しいいい子です。








ここで今回のスタッフが各地からいったん集合。
7時半に出発し、9時過ぎに現地着の予定。

「現地ではものは食べるな。ここでしっかり食っておけ」との指令で、
若者たちはがっつり食事を始めました。
カレー、うどん、メンチカツセット…わ、わかい。ム、ムリ〜〜。
完全に胃が寝ている私は、とりあえずおにぎりをゲットしておくことに。

(その2に続きます)